1987年にVo,OHNO Bass,KOJIを中心に結成。同年「GET GOOD LOVIN'」をキャプテンレコードよりリリース。
インディーズデビューとなる。
翌年の1988年にVAPより「THE RYDERS」にてメジャーデビュー。
当時では、タトゥーを入れたシンガー、ニューヨーク・パンクをほうふつさせるサウンドやヴィジュアルは珍しく話題となった。
1991年にG,LOU(THE STAR CLUB)Dr,TSUGIO(ZETT)が加入、
後に名盤とされるアルバム『LET'S GET TOGETHER』、
同年11月には『FROM JUNK STREET』をトイズ・ファクトリーよりリリース。
この2枚のアルバムにより、日本のパンクシーンにおいて、不動の立場を確立することとなる。
1991年から1995年まで続いたRYDERSが主催のPUNKイベント「ANARCHY TOUR」はタイトルどおりの激しいライブ内容がPUNKファンの間ではいまだに有名である。
1993年 G,KASUGA(POGO)のメンバーチェンジ後に日本コロンビアより「ALL THE WAY」をリリース。
その後アメリカ西海岸ツアーやアメリカレコーディングなどを行い、海外にも積極的に活動範囲を広げる。
このアメリカ西海岸ツアーが話題となり米オルタナティヴ系FM局のチャートにもランク・インされ
海外でも異例の高い評価を得る。
アメリカのFLIPSIDEレーベルよりミニアルバム「雑草」をリリース。
1995年には日本コロンビアから「反逆分子」をリリース。
ライブバンドとして精力的にライブ活動を行っていくも、1997年より充電期間に入る。
GにBelley(Laughin nose)DにTAKASHIとメンバーチェンジを行い、
2000年4月に行われたJAPAN PUNK ROCK FESTIVALにて1年ぶりにステージに復帰。
この年に2度、韓国ソウルにてライブを行う。
2001年にはセルフカバーアルバム「RYDERS ARMY」2003年には「PUNK EXPLOSION」をリリース。
2005年には初のライブアルバムをリリースと積極的に活動を続けるが、2006年より活動休止期間に入る。
活動休止中にもOHNO,KOJIはRAMONESのトリビュートバンド「DUMB」でライブ活動、CDリリースとRYDERSとは違う音楽活動を行い、
CD内容、セールスでも高い評価を得る。
2008年11月13日新宿LOFTにてG,MINAMI(Ken Band)Dr.Matsuura(Ken Band)をサポートに迎え復活。
現在はG,TATSUYA Dr,MOHのメンバーで全国のライブハウスを中心に活動中。
デビュー当時から硬派でアウトローなイメージを持つ。自らを「雑草」と呼び、歌詞にも反骨精神や社会に対してのシニカルさを取り入れた数多くのワーキングクラス賛歌を取り込み、幅広い層から支持を得ている。 ストレートで激しいファストパンクにもポップセンスがあり、展開のある様々なリズムを取り入れた楽曲が特徴である。
ライブは、バンドとファンとのポジティブでワイルドな一体感のあるステージが特徴。
同世代だけではなく若い世代にも影響力は絶大で、ミッシェル・ガン・エレファント、KEMURIの各メンバー、POT SHOTの変名バンド、PET、NOT REBOUND、レッドマンモス他、
多数の若手バンドが参加したRYDERSのトリビュートアルバム「LET'S GET TOGETHER」が2002年にリリースされた。
長くキャリアのあるパンクバンドとして、若手からもリスペクトされる存在である。
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